【一】
ぼくの子どものころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやりとりをする要領が大事なことだった。同じものを買うにしても、要領が悪く失敗したら、高い値段で買われてしまう。ふだんからのつきあいだって、買い物のときになって、ものをいうのだった。
これは、ある意味で、不平等なことであった。同じものを買うのに、相手次第で値段が変わる。失敗すると、損になる。
いまでは、定価が決まっている。平等に、だれでも同じ値段で、買い物ができる。しかし、ときにはそれが、ちょっと味気ない(乏味)気がしないでもない。なによりも、要領を身につけようと、努力することがなくなった。店の人と関係を取り結ぼうと、ふだんから心がけることがなくなった。平等なかわりに、冷たい関係になってしまった。
何度か失敗して、だんだんと要領を覚えていくものでもあった。その意味では、店の人というのは要領の先生であった。(中略)
値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意思を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意思で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。
このことの逆として、自分で判断し、自分で責任をとる機会は、平等や公正の名のもとに、だんだんと少なくなってきているのではないだろうか。さらにそれが、学校などで共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から遠くなっているような気がする。
どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、とぼくは考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。
ふだんからの関係に気をくばり、要領よくふるまうのは、ズルイこととされている。それでは、平等で公正にはならない。
にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくやっていくズルサ、そのことの意味を、もう一度、考えなおしてみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。
21.文中の「ものをいう」の意味はどれか。
[A]楽になる
[B]役に立つ
[C]けちになる
[D]勇気がつく
22.文中には、「ちょっと味気ない気がしないでもない」とあるが、それはなぜか。
[A]不平等で冷たい関係になってしまったから
[B]店の人と関係を取り結ばなくてはいけなくなったから
[C]要領を身につけようと努力することがなくなったから
[D]値段の交渉をするのが前より増えたから
23.文中には、「遠くなっている」とあるが、何が遠くなっているのか。
[A]自分と店の人との関係
[B]自分で買い物をする機会
[C]平等や公正を保証された社会
[D]自分で判断し、自分で責任をとる機会
24.文中の「要領を否定した制度」の「要領」はどういう意味か。
[A]平等で公正な社会を作るコツ
[B]判断や責任から逃れるコツ
[C]ものごとをうまくやるためのコツ
[D]苦労や努力をしないでやっていくコツ
25.この文章の内容に合わないのはどれか。
[A]要領よくやっていくズルサもわれわれには必要である。
[B]要領よくやっていくことは人間の信頼関係をこわすことになる。
[C]どんな世の中でも自分で判断し自分で責任をとることが自分を守ることになる。
[D]買い物のやりとりのない社会では、人間関係は味気ない冷たいものになる。